粋な江戸っ子は蕎麦は蕎麦猪口のつゆに皆迄浸すもんじゃないてぇこってすが、
長い蕎麦を猪口に収まるまで浸すなぞ間怠っこしいことはせっかち者はしちゃぁいられない、
となれば蕎麦の端ををちょいと絡ませれば宜しいくらいつゆだって辛くしたってことでしょう、
とは云うものの今際の際の江戸っ子に思い残すことはないかぃと尋ねると
「今生の別れにいっぺん、つゆぅたっぷり絡めた蕎麦ぁ喰いてぇ」
なんてぇ話が落語のまくらでちょいちょい使われるように、
粋を気取る江戸っ子の痩せ我慢にすぎないようで、
目の前ではなまるがたっぷり、それこそぐちゃぐちゃに蕎麦つゆを絡ませた新蕎麦を手繰っているのをみて、
自分も蕎麦をしこたまつゆに浸してみたい欲望と、
粋で鯔背な江戸っ子との自負心、矜持との葛藤に貧乏揺すりを始めたおじさんは、
ゆっくり味わうはなまるの前で蕎麦猪口と蕎麦を摘まんだ箸を手に固まってしまぃ、
せっかちどころのお話ではないようで、
折角気取ってみたって孰れは「後悔はいまはのきはの痩せ我慢」ってぇことで。(2006/10/5)